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じゃがいもの毒。【#2】わたしはネガティブなんかじゃない

micco.
酸素を吸って、ときめきを食べて、文字を書いて、毒を吐いて、夢と現実の狭間で生きてます。人間です。

ある日、人から言われた「あなたはネガティブで、あなたの周りの人たちもネガティブだよ」という言葉が身体から出ようにも出ず、今もこうして血液と共に滞っている。

ネガティブという言葉を調べてみると、否定的、消極的、ポジティブの対義語、と出てきた。

その言葉がすんなり腑に落ちていたらなんの気にも止めず右から左だっただろうに、数ヶ月たった今もこうして文に書き起こしてしまう有様。相当反発しているであろう自分に気付き、敢えてそのわだかまりに向き合ってみる。

小学生の頃から、自分に自信がなかった。人から褒められることがとても嬉しく、唯一の励ましだったことを今でも覚えている。

わたしには妹が2人いて、祖父母や親戚はみな離れたところに住んでいる。その上父親は仕事人間、コミュニケーションが少ない人だったので育児や家事のほとんどを母親が担っていた。

25歳の今になってこそ客観的に見ることができるが、当時のわたしには母親がどれだけ大変かを理解することは到底不可能だった。3人の子どもを育てる母親の興味を惹き、自分を見てもらうためには「褒められる」ということが必要だと無意識のうちに思っていたのかもしれない。

小中学生の頃のわたしは何事も人並み以上にこなした。生徒会を務めたり、人前に立つ役割も進んで担った。学校の先生にはよく褒めていただいていたし、“いい子”というレッテルがあった。当時、褒めてもらいたいと思っていた覚えはないが、自分がそこにいる意味、誰かのために役に立っているという自覚が欲しかったのだと思う。だが、誰よりも認めてもらいたい両親に褒めてもらった記憶がほとんどない。

気付くと、周りからの評価とわたし自身の評価に大きな差が生じていた。テストの点数、持久走のタイム、通知表。学校でもらう点数は高く、いい評価をもらっているはずなのに、間違えたところや、足りていないところばかりが目についた。

「わたしはあれもできない、これもできない。」

認めてもらいたいという感情は膨らむ一方だった。

中学3年生の頃、善い行いをした人に送られる賞を市から受け取った。それは嬉しい以上にわたしを安心させてくれるものだった。わたしの存在を認めてくれる人がいる証拠だと思った。それをほんの少し誇らしげに賞状を家に持ち帰ると、母親から「どうしてあなたがそんなものを貰うの?」と言われた。

相談に乗ってくれる友人はいただろう。だが「こんなわたしの相談に乗ってもらうのは申し訳ない」「こんなことに大切な友人の時間を割いてしまうのは申し訳ない」と、心の内は誰にも明かすことが出来なかった。

振り返れば小学校低学年のころ、わたしに友人と呼べる存在がいること自体が不思議に思えた。

どうしてわたしとお昼休みの時間を一緒に過ごしてくれるのだろう。 どうしてなんの取り柄もないわたしと喋ってくれるのだろう。

きっかけは分からないけれど、その頃から“わたしという人間は人の時間を無駄にする存在だ”という意識がずっとあった。それ故に、人の一挙一動、言葉の使い方、表情、外見から察することが出来ることには神経を尖らせた。少しでも目の前にいる人の時間を無駄なものにしたくない。出来ることなら、この時間がプラスなものであって欲しい。

年を重ねていく中で考え方や世界の見方の変化があった。どれだけ褒めてもらっても満たされないこと、人は変化し裏切り裏切られること、身体は酷使すれば壊れるということ、自分の身体はひとつであるということ。楽しいことや嬉しいこと、幸せなことは数え切れないほど存在したが、今ここに残っているのは負の感情ばかり。

中学1年生の頃からつけている日記は、次第に自分との対話になっていった。喜怒哀楽だけではない、進路のこと、将来のこと。毎日無気力な状態や、わたしはどんな人間になりたいのか、それから生きている意味まで。来る日もくる日も頭に浮かぶ言葉を書き続けた。日記はわたしの唯一の吐き出し場、心の拠り所だった。こうして文字を綴ることで、自分の内側を外に出せるようにもなった。これは自分に対して否定的なわたしが身につけた生きていくための術のひとつ。

先月、26歳の誕生日を迎えた。自分の声を聞き、生き方を模索し、健康に社会の一員として生きていく術がようやく分かってきたような気がする。振り返ればゾッとするほど長い道のりだった。

現在もまだ根っこの部分は変わらず、自分に対して否定的でいつも自信がない。存在意義を他人に委ねて、勝手に「褒めてもらえる・感謝される」と思い込んでいた過去のわたし。体の居場所はあっても、わたしの意識が安心していられる場所がないと嘆いていた。そんなことでさえも今ならなんて傲慢だったんだとつくづく思う。

自分の決断や、感情、行動に対して素直に、そして自分のことを好きな自分でいられるよう日々を重ねてきた。こうしてネガティブという側面と向き合い続けるわたしのことを「ネガティブ」という言葉だけで表すのは言葉足らずなんじゃないかと、この文章と共に差し出そうと思う。